◆両陛下の葬法は火葬に

宮内庁は天皇、皇后両陛下の葬法を火葬にすることを決めた。また墓所に当たる「陵」は「合葬」ではなく、隣り合わせにして一体的に造成することも決めた。両陛下の葬法につては、両陛下の「簡素に」という意向を受け、宮内庁が昨年から検討を進めていた。しかし、一般の葬儀・告別式に当たる「葬場殿(そうじょうでん)の儀」「大喪(たいそう)の礼」については、場所などは結論が出ておらず、今後も検討が続くことになる。

宮内庁の発表のポイントは、①武蔵野陵墓地(東京都八王子市)内で火葬②火葬施設は臨時に設置し、資材は再利用する③陵は武蔵野陵墓地の大正天皇陵の西側に設置する④陵は両陛下合わせて3500平方㍍にする⑤陵の形式は上円下方墳にする⑥陵は合葬ではなく寄り添う形に一体的に整備する――というもの。

最大の焦点は、火葬にするか土葬にするか、だった。歴代天皇の葬法を調べると、古代は火葬、火葬は703年の持統天皇の葬儀が初めて。それ以後は、土葬と火葬が混在したが、室町時代中期には火葬が定着していたとみられている。江戸時代になり1654年の後光明天皇の葬儀以降は土葬になり、明治以降も踏襲され、昭和天皇まで続いていた。火葬は仏教思想とともに日本に広まったといわれ、土葬は儒教思想の影響と見られている。このため、宮内庁の一部には「火葬は、皇室の神道の伝統にそぐわない」との意見があったとみられ、検討に当たっては慎重な論議が重ねられたという。

さらに、陵の規模については、昭和天皇、香淳皇后の陵の約8割の広さにとどめたのも特徴だ。これは、両陛下が検討にあたって「極力、国民生活への影響が少ないものとすることが望ましい」という意向を示していたためとみられている。また、天皇陛下には合葬の意向もあったと見られるが、皇后陛下が「おおそれおおい」と遠慮されたという。

しかし、積み残された問題は難問だ。昭和天皇の「葬場殿の儀」「大喪の礼」は、新宿御苑で連続して営まれた。海外の首脳ら要人の移動や警備上の理由だったが、一部の政党から「政教分離の原則に反する」という疑問が出されるなどし、「葬場殿の儀」と「大喪の礼」の間に、鳥居を撤去し、宗教色を薄めるなどした。また、多くの参列者のために天候などにも配慮が必要になる。「大喪の礼」は皇室行事ではなく、政府主催の行事になるため、検討は内閣の仕事となる。

皇室ジャーナリストは「伝統と国民感情のバランスをとったということだろう。21世紀の皇室のあり方を議論するきっかけになる」と話している。