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衆議院議員
赤羽かずよし
(あかば一嘉)
衆議院兵庫2区(神戸市兵庫区・北区・長田区 、西宮市山口支所管内・塩瀬支所管内)

生年月日1958年5月7日
略歴慶應義塾大学法学部卒業後、三井物産株式会社勤務、台湾で語学研修。北京駐在時、天安門事件に遭遇
1993年 衆議院初当選(当選9回)
1995年 阪神淡路大震災で自身も被災
経済産業副大臣・原子力災害現地対策本部長、財務副大臣、衆院国土交通委員会委員長等を歴任
役職前国土交通相、公明党幹事長代行、公明党兵庫県本部代表
趣味・特技ラグビー(元全日本高校選抜)、中国語、絵画・映画鑑賞
血液型B型
家族妻と一男・一女、2人の孫
座右の銘「一人立てるときに強きものは真正の勇者なり」「真実は現場にあり」

赤羽かずよし HISTORY

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少年時代

両親は駅前の小さなパン屋を営み、早朝から深夜まで立ち通しで仕事に汗を流しました。その両親の背中を見ながら育ち、幼少の頃から一緒に店番をするのが大好きでした。

店の二階の狭い二間に住み、クリスマスイブの前夜は、山積みにされたクリスマスケーキの箱の間で寝たのも懐かしい思い出です。

小学生の時は少年野球。中学時代は卓球。そして、高校時代はラグビーに全力投球。高校3年生の時はラグビー全日本高校選抜にも選ばれました。日本代表元主将の林敏之さんの一学年上の高校選抜。世界で最も通用した日本人選手として名高い林敏之さんも赤羽応援団の一人です。

少年時代

学生時代

慶應義塾大学法学部の小田英郎教授のゼミで、南アフリカの人種差別政策(アパルトヘイト)を専攻。大学3年の夏休みには、ゼミの仲間と南アフリカ、ケニアを訪問。人種差別政策等を体験し、その後の人生に大きな影響を受けた旅となりました。

在学中は、日本育英会奨学金、慶應義塾奨学金、旭硝子奨学金の支給を受け、無事卒業することができました。奨学金を受けるには様々な条件があり、大変に苦労しました。

この経験をもとに、誰もが、安心して学ぶことができる社会づくりを全力で目指しています。
これまで、学力基準の撤廃などを強く訴え、奨学金制度を抜本改革。40万人から3倍以上の140万人に受給学生を拡充(当時)することができました。
返済不要の給付型奨学金の実現にも貢献しています。

学生時代

サラリーマン時代

三井物産で10年間勤務しました。このサラリーマン時代に、中国語と英語を修得し、国際舞台に通用する力を身につけることができました。

北京と南京事務所駐在時には、天安門事件に遭遇。歴史の大転換をこの目で見届けながら、命からがら脱出した経験もしました。この間、生まれたばかりの長男とは離ればなれの単身赴任の日々が続きました。

その中、日中友好の重要さを学ぶとともに、中国の経済発展の実態や社会体制の変化、また中国と台湾との微妙な関係等の理解を深め〝国際感覚〟を養うことができました。

2019年10月に北海道で行われたG20観光大臣会合では、議長を務め、観光政策の大きな可能性と価値を確認しました。世界が分断の危機に直面する今こそ、対話による国際協調の促進が重要であると考えます。

サラリーマン時代

政治家の原点

衆議院議員に初当選させて頂いて1年半後、阪神・淡路大震災が発生しました。

発災直後に自宅を飛び出してから、ずっと自宅に戻らず救助活動に被災地を駆けずり回りました。体重も15キロ減りました。しかし、政府の復興支援は遅々として進みませんでした。

着の身着のままの姿で上京し、予算委員会にのぞみました。 そこにあったのは、あまりに他人事な当時の総理以下閣僚の姿でした。
やり取りしているうちに、これでは犠牲になられた方々が浮かばれないと思い、つい口から発せられたのが「天災じゃない!人災だ!」という言葉です。
それは、被災者すべての方々の思いを訴えさせて頂いたものと思っています。

以来、「真実は現場にあり」が私の信条です。
東日本大震災をはじめ、あらゆる災害の際には、現場に飛び込み、現場目線で対策を施すことを心掛けています。
前国土交通大臣としても、皆様の命を守る「防災・減災」に全力を尽くしてまいります。

政治家の原点

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