2015年1月27日 国会代表質問

国会代表質問

石破茂大臣:応援演説

石破茂大臣:応援演説

安倍総裁 応援演説(神戸市北区)

安倍総裁 応援演説(神戸市北区)

小泉進次郎氏 応援演説(神戸市長田区)

小泉進次郎氏 応援演説(神戸市長田区)

選挙事務所開き(神戸市兵庫区)

選挙事務所開き(神戸市兵庫区)

街頭演説〈兵庫駅前〉

街頭演説〈兵庫駅前〉

赤羽かずよし「被災地復興」へ

赤羽かずよし「被災地復興」へ

衆議院予算委員会で質問

衆議院予算委員会で質問

赤羽かずよし プロフィール

赤羽かずよし
B型。妻と一男、一女。

 

略歴

*昭和33年5月7日生まれ

オールウェイズ三丁目の夕日の時代風景の中、小さな菓子屋を営む父:宜一、母:良子の長男(と言っても末っ子)として生まれる。逆子で4000gの巨大ベイビーで難産であった。

 

*昭和39年10月10日 伸びる会幼稚園の年長組の時に東京オリンピックが開催。

連日テレビにかじりつく。私の日本人としてのアイデンティティはこの時に形成されたものと確信している。開会式で東京の青空にジェット気流で描かれた五色の五輪を眺めたことは生涯忘れない。早朝から富士銀行に行列し手に入れた1000円記念銀貨は今でも家宝である。男子水泳で金メダルを量産したドン・ショランダー選手の表彰式を繰り返し見るうちにアメリカ合衆国の国歌を諳んじたことは地元商店街の伝説に。柔道無差別級決勝で神永選手を破り、柔道ニッポンから金メダルを奪取したヘーシンクの試合直後の武士道の振る舞いや女子バレーで金メダルを獲得した東洋の魔女・中村主将の金メダルを受け取る際の大和なでしこらしい仕草に感動した。重量上げ金メダルの三宅選手の気合に驚き、男子体操金メダル遠藤選手のあん馬にハラハラどきどき。マラソンで最後の最後に国立競技場のトラックで英国ヒートリー選手に抜かれ銀メダルをのがした円谷選手の無念に私も涙した。

 

*昭和40年4月~46年3月 読売新聞のナベツネ氏の母校でもある落合第二小学校在学。

少年野球に没頭。チーム名はキング・キャッツ。6年生時には新宿区3位。

 

*昭和46年4月~49年3月 今は廃校となった西戸山第二中学校在学。

名古屋での卓球世界選手権大会に中国チームが文化大革命のブランクを乗り越えて参加。友好第一と言いながら、男女とも世界チャンピオンに。空前の卓球ブーム。私も学校の卓球部とスポーツ少年団に所属し、卓球漬けの日々をおくり、新宿区2位の腕前。ちなみに学校の成績はいつもオール5(・・・ちょっと自慢話)

 

*昭和49年4月~52年3月 都立青山高校在学。

自由な校風を謳歌し、勉強はやらずにラグビーに熱中。全国大会東京都予選大会でベスト4。東京には、全国優勝の私立目黒高校、ベスト4の国学院久我山高校、ベスト8の保善高校が存在し、全国大会出場はならず。春の都大会では、保善に惜敗。都立高校生で初めてのラグビー全日本高校選抜に選ばれる。生涯付き合う友人ができた。

 

*昭和54年4月~58年3月 慶應義塾大学法学部政治学科在学。

小田英朗教授の一般教養の授業で、昔の慶應大学の先生はゼミでコーヒーの飲み方から教えてくれた云々、とのお話が妙に印象に残り、小田ゼミを受験。小田先生が都立青山高校の大先輩というご縁もあってか無事に入ゼミ。アフリカの政治学(南アフリカのアパルトヘイト政策)を専攻。生まれて初めての海外旅行が南アフリカ・ケニアへのゼミ旅行。南アフリカのケープタウンで黒人のチンピラに絡まれるも、咄嗟のカンフーの真似で危うく難を逃れる。キリマンジャロや喜望峰、テーブルマウンテンの絶景は筆舌に尽くしがたい雄大さ。

 

*昭和58年4月~平成5年2月 三井物産株式会社勤務(本社、台湾国立師範大学留学、北京事務所、南京事務所、関西支社)

食料会計部で2年勤務の後、昭和60年人事部派遣の台湾修業生に合格し、国立台湾師範大学・語学センターに留学。台湾の経済成長期および民主化の時期にあたり、ファーストフード店や喫茶店が急速に出店。また、連日、非合法の民進党グループによるデモが展開、異様な熱気に溢れていた。

 

*昭和63年9月15日結婚、10月1日より北京事務所に赴任。

飼料用トウモロコシ・大豆粕やゴマ、青島ビールの輸入業務を担当。理不尽な商談や日常茶飯事の契約不履行の洗礼を受ける。翌平成元年6月4日、天安門事件に遭遇し、その後、南京事務所で新婚早々単身赴任生活に。中国でも驚異的な経済成長と民主化の姿をこの眼で見ることができた。

 

*平成2年12月9日、長男の1歳の誕生日に帰国、関西支社へ転勤。

関西人として第2の人生がスタート!!小麦粉ビジネスの担当者として、タイで共栄フード社とパン粉製造の合弁事業を展開。後にビッグ・ビジネスに成長。マレーシアからタカラブネ向けに冷凍ケーキを輸入等々、実に楽しい商社マンとしての仕事に関わる。

 

*平成5年7月 神戸の地から公明党公認候補として衆議院議員総選挙に初挑戦、初当選。

支持者の皆さんの真心からのご支援でトップ当選。以後、小選挙区兵庫2区で4回連続当選。

 

*平成7年1月17日05時46分、阪神・淡路大震災に遭遇(当時は、一期生の新人議員)

自ら被災し、時の村山富市政権の初動のあまりの遅さに対し、被災者を代表し「天災じゃない、人災だ!」と弾訶。神戸の一日も早い復興への戦いが、政治家としての原点。

 

*平成13年1月 衆議院災害対策特別委員長に就任。

北海道有珠山と伊豆七島の三宅島の大噴火による全島避難に遭遇。被災者のもとでのタウンミーティングを積極的に開催するなど「現場で闘う災害対策特別委員会」を標榜し、現場第一主義を実践。

 

*平成19年 ねじれ国会で初の法制定となった「被災者生活再建支援法」の大改正を12年ごしで実現。

所得にかかわらず全ての全壊被災者が、煩わしい手続きナシで、どんな用途にも使える支援金を受給できるように改正。中越地震や東日本大震災の被災者から大いに感謝される。

 

*平成15年11月 衆議院国土交通委員長に就任。

在任時、道路公団民営化法を成立。他に、交通バリアーフリー法を立法し、街のバリアーフリー化を飛躍的に進める。

 

*平成17年10月~18年9月、財務副大臣歴任。

日銀の政策決定会合の出席メンバーとして、量的緩和政策やゼロ金利政策の解除の大エポックに立ち会う。シンガポールでのG7、ロンドンでのEBRD総会に日本政府を代表しての参加。

 

*その他

大学時代、奨学金の面接での嫌な思いをした体験から、誰でも成績にかかわらず利用できる奨学金制度を実現。国の将来の宝である子どもたちが、公平に質の良い教育を受けられる社会を目指し、奮闘中。

 

 

党役職
中央幹事、国際委員長代理、兵庫県本部 代表

 

趣味・特技
ラグビー(元全日本高校選抜)、中国語、絵画鑑賞

 

座右の銘
「一人立てるときに強きものは真正の勇者なり」「真実は現場にあり」

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